イサーングループ

イサーングループの第二作業場建設着工



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 東北タイでバナナ栽培を展開するイサーングループ・ファオライ地区。今最も栽培拡大への動きが活発なこの地区で、自分たちの出荷作業場建設に向けた動きが加速しています。
 作業場建設工事が開始されたのはノンカイ県ファオライ郡ワンルアン区役場の敷地内の一角。ここに周辺でバナナを栽培しているメンバーが連日集まっては手弁当での建設工事が進められています。
 同地区の生産者は昨年11月から日本向けに無農薬栽培ホムトンバナナの出荷を開始、以後品切れとなった今年8月まで隔週で見事なバナナを出荷し続けてきました。初めてのバナナ栽培の成功に気を良くした生産者の多くが栽培を拡大しただけでなく、周辺の農家にも働きかけて地区内のホムトンバナナ栽培は飛躍的に拡大してきています。
 これまでは生産者のリーダーが保有するコメ保管庫を改造した仮出荷設備を使用して来ましたが、今年10月以降に大量の出荷が予想されるため、適切な出荷設備を模索していました。自分たちが住む地域の自治体の協力を仰ごうと、生産者リーダーが同区長に直談判し、役場敷地内の土地提供と作業設備建設に必要な資材費購入費用の補助を引き出すことに成功したという次第。
 生産者の皆さんは明るい笑顔で労を惜しむことなく自前での建設工事に熱心です。今年10月にはこの新しい出荷設備から日本向けにバナナが出荷されることになります。


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ウドンタニ県サーンコーム郡の行政視察イベント



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ウドンタニ県副知事

 1月26日、ウドンタニ県の行政責任者たちが郡の行政機関の仕事ぶりを視察するためのイベントがサーンコーム郡内のある小学校の敷地内で開催されました。
展示物はパンフレットやボードによる展示が多く、大部分は郡の各行政機関による地域住民への広報活動や指導活動の成果を紹介するものでした。一例として、住民が行政の指導や圃場で生産・製造している地元の商品の陳列販売、液肥などのデモンストレーション製作と配布、厚生省系列のブースでは健康診断などもやっていました。

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 我々の取り扱っているイサーングループのホムトンバナナは農業振興局ブース内の会場入り口の一番目に付く場所で紹介されており、活動内容の紹介とバナナの実と苗の陳列販売が行われていました。面白かったのは、バナナの実よりも苗の方に関心を寄せる人が多かったことで、購入者が殺到するほどの人気ぶりでした。さすがは農業県と言ったところです。購入した人の中から未来のバナナ生産者が生まれるのではないか、そんなことを少し期待してしまいます。


イサーングループ、ファオライ地区での初出荷作業



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 タイ東北地方のイサーングループは、ノンカイ県、ウドンタニ県、サコンナコン県の3県に及ぶ広域産地ですが、これまで出荷作業はウドンタニ県のサーンコーム郡の1カ所でのみ行って来ました。これにより、作業場から遠く離れた圃場では輸送による打ち身・当たり傷が頻発していた他、収穫車両に積載しきれない取り残しも数多く出ていました。
 この問題を解決するため、今後随時生産地の近くに簡易作業場を設置していこうということで昨年末にジャカリン理事長と基本合意をしましたが、早速その第一号が完成し、1月24~25日に初出荷作業を迎えました。

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 第一号簡易作業場が作られたのはノンカイ県のファオライ郡で、ウドンタニ県サーンコーム郡にある出荷作業場からは、およそ40㎞離れた場所にあります。施設はこの地域の生産者リーダー保有の米倉庫に若干の手を加えて作られました。バナナを吊り下げている下の地面は土間のままで、洗浄水が流れて泥になっていましたし、洗浄用にセメントで作られたタンクも表面がザラザラの状態であったためバナナの表皮に傷が付いてしまうという問題があるなど、作業場としての完成度はまだ低いと言わざるを得ません。しかし作業に携わる人たちの顔は皆輝いており、中には労賃をもらう立場にない近所の親父さんたちも作業の手伝いに来ていました。「バナナを通じて、自分たちの住む地域を活性化させていきたい。これは自分たちの仕事だ。」そんな雰囲気を肌で感じることができました。この雰囲気こそが、イサーン(タイ東北地方)におけるバナナ振興のあるべき姿かもしれません。

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タイの日刊新聞紙上にジャカリン理事長の記事が掲載される



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 本日(2011年11月16日)発売のタイ日刊新聞“コム・チャット・ルック”紙上に、我々の扱うホムトンバナナの取り扱い先の一つであるイサーンホムトンバナナグループのジャカリン・ポープロム理事長を紹介する記事が掲載されていましたので、早速日本の皆様にもご紹介したいと思います。
 以下は記事の内容を簡単に翻訳したものです。

<タイの優良生産者紹介コラム>
ジャカリン・ポープロム
“日本へバナナを出荷する東北タイのホムトンバナナ栽培先駆者”
「今を去ること16年前、サーンナムコーンホムトンバナナ地域事業体(通称イサーンホムトンバナナグループ)のジャカリン・ポープロム理事長は、当時はまだ首都バンコクで普通のサラリーマンとしての生活を送っていました。しかし1995年に発生したバンコクでの大洪水をきっかけに、自分の生まれたウドンタニ県サンコーム郡バンコーク区に戻って農家として身を立てる決心をしました。そしてその時、彼が選んだ作物がホムトンバナナです。始めのうちはとてもうまく行っていましたが、次第に彼を真似てホムトンバナナ栽培を始める人が多くなり、仕舞いには十分な売り先を確保できない状態になってしまいました。
 そこで彼は一大決心をし、自分の持っている農業知識を生かすためにイスラエルへ飛んで花農家の作業員として働くことにしました。その後彼は約5年間の月日をイスラエルで過ごすことになりますが、このうちの1年をホムトンバナナ農園の作業員として過ごし、苗の培養から収穫、梱包まですべての工程を学ぶことができました。この時、彼は作業員として月給数万バーツをも稼ぐ高給取りになっていましたが、彼は迷うことなくそれを捨ててタイに戻り、周囲の農家を巻き込みながら、自分の土地で有機農業を主としたホムトンバナナの栽培を始めました。
 それからしばらくして、彼は日本市場を相手に自分たちの作ったホムトンバナナの出荷を始めます。香りの良い、甘酸っぱい東北タイバナナの名のもとに、昨年は試験出荷として60トンの出荷を実現しました。“まさか、本当に東北タイでホムトンバナナ栽培が実現するとは思わなかったよ”彼はそのように語っています。
 “日本のホムトンバナナ市場はとても大きく、年間1万トンもの受け皿があります。しかし現在の我々の出荷量は、まだその半分の5000トンにも遠く及びません。栽培規模を拡大させる余地は、まだまだあります。現在の当事業体の生産会員数は130名を数えるに至り、昨年9月の初出荷から今日までに計200トンの出荷を実現しました。今後4~5年のうちに、年間1,000トン以上の出荷を実現させます。”彼は確信に満ちた面持で、そのように語っていました。(記者:セークサン・ガラヤーンウィスット)

(注)出荷量の数字は新聞社の取材でやや大袈裟な捉え方をされています。ご了承ください。


嘘のような本当の話



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 この圃場の写真を見て、どこか違和感を感じる部分はありませんか?(写真の拡大表示推奨) 普段バナナの圃場を見る機会の無い人には何のことだかサッパリかもしれませんが、いつも圃場を巡回しているPPFCスタッフであれば、“雑草が無い”ということにすぐに気付くはずです。そして生産者に対して、栽培中止を宣告することになります。というのも、通念では地面がこのような状態だと、除草剤を使用したと判断されるからです。一般的に、除草作業は草刈機を用いて行われるので、雑草の根元部分が残っているのが普通なのですが、写真が示す通り、この圃場にはそれがほとんどありません。
 果たしてどのような方法を使って、除草剤無しでこのように雑草の無い状態を作ることができたのでしょうか?その答えを、この圃場でバナナを作っている生産者、トーンサーイさんに語ってもらいました。

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イサーン・ホムトンバナナグループ

サーンコーム地区

トーンサーイ・コートモンコンさん


「私は基本的に、ホムトンバナナの圃場で過ごすことが大好きなんです。いつも早朝から作業を始めるので、昼前にはやることが無くなってしまうんですが、それで家に帰るということはまずありません。何もすることが無くても、自分の作ったバナナの出来をただ眺めているだけで嬉しくて、圃場から離れるのが惜しくなってしまうんですよね。はじめのうちはただ座って眺めているだけでしたが、何もしないのも手持無沙汰なので、どうせならと雑草を抜くようになったんです。私は1本1本根こそぎ取り除くようにしているので、再び生えて来ることも、ほとんどありません。それで気付いた時には、雑草の少ない圃場になっていたというわけなんです。」


 答えは、“生産者が自分の手によって、雑草を1本1本地道に引き抜いた”でした。これだけ広い土地に生えている雑草を自分の手で1本1本引き抜いただなんて、にわかにはちょっと信じられないですよね。彼女のホムトンバナナに対する愛情には、頭が下がる思いです。ちなみに、彼女と一緒に栽培管理をしている旦那さんに話を聞くと、「俺にはそんな七面倒臭いことは出来ねぇよ」と笑っていました。